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2016.8.16

佐野眞一「初心に帰る」。復帰第1作に選んだのは60年安保のカリスマ『唐牛伝 敗者の戦後漂流』

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キーワード: 佐野眞一 唐牛健太郎 人物評伝 ノンフィクション 60年安保 全学連

佐野眞一「初心に帰る」。復帰第1作に選んだのは60年安保のカリスマ『唐牛伝 敗者の戦後漂流』

革命なんて、しゃらくせえ! 全学連元委員長、47年の軌跡

 

 60年安保を闘った若者たちは、「祭り」が終わると社会に戻り、高度経済成長を享受する。しかし、唐牛健太郎だけはヨットスクール経営、居酒屋店主、漁師と職を変え、日本中を漂流した。「昭和の妖怪」岸信介と対峙し、「聖女」樺美智子の十字架を背負い、「三代目山口組組長」田岡一雄と「最後の黒幕」田中清玄の寵愛を受け、「思想界の巨人」吉本隆明と共闘し、「不随の病院王」徳田虎雄の参謀になった。

 

 なぜ、彼は何者かになることを拒否したのか。

 

  ‹‹本書の主人公であるブント全学連委員長の唐牛健太郎は、左翼的言辞をほとんど弄することなく、好奇心丸出しに「何か面白いことはないか」と言うのが口癖だった。誤解を恐れずに言えば、唐牛はこれまでの革命運動では考えられない「不真面目」な男だった。

 取材した実感で言うと、唐牛はグリップしたかと思うと、指の間からするりと抜け出し、遠くの方から「どうだい、オレが少しわかったかい」と笑っているようなところがあった。

 それこそが唐牛の自己韜晦であり、他人にはめったに見せない唐牛なりの知性でもあった。

 唐牛が闘争終了後、「転向右翼」の田中清玄や、山口組三代目組長の田岡一雄と対等に付き合い、晩年は徳洲会の徳田虎雄を手伝った「悪食」嗜好も、並外れた好奇心と無類の行動力から来ている。その唐牛を筆頭として、ブント全学連の幹部たちは、闘争終了後も、「大衆社会」に埋没することなく、己の信ずる道を進んだ››

 

 1997年「旅する巨人─宮本常一と渋沢敬三」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、2009年『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞受賞。『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』『東電OL殺人事件』『あんぽん 孫正義伝』など多くの著作をもつノンフィクション作家・佐野眞一が、60年安保のカリスマの心奥を描く。

 

休筆中の佐野氏を「勇気づけ、失意から立ち直らせた」唐牛健太郎の生きざま

 

 約3年間ブランク状態にあった佐野氏はなぜ、再起にあたって唐牛健太郎をテーマに選んだのか?

 

  ‹‹休筆を余儀なくされた私は、自分の心に「初心に戻れ」と言い続けた。自分にもわからないところで、いつしか傲慢になっていたのではないか。

 他人には「神は細部に宿る」などといながら、取材現場からも足が遠ざかるようになっていた。それがこの問題を引き起こした本当の原因ではないか。そう思ったのである。

 しかし、「初心」に戻るのは、そう簡単なことではなかった。気が焦るばかりで、筆は一向に進まなかった。

 だが、不名誉なレッテルを張られたまま、ここで筆を折るわけにはいかない。そう思うと、余計仕事が手につかなくなった。

 周囲から、佐野はいま何をやっているのか、という心配の声が耳に入ってきたことも、逆に私を追い詰める結果になった。

 そんなとき、旧知の友人から、「佐野さん、唐牛健太郎をやってみないか」と言われた。この話を聞いた2014年は唐牛の没後30年にあたるという。もうそんなに経ってしまったのか››

  ‹‹そうか、唐牛健太郎か。案外、面白くなるかも知れない。唐牛のまとまった評伝がまだ一冊も刊行されていないというところにも心動かされた››

 

 北は紋別、南は沖縄まで著者みずから現場に足を運び、唐牛の人生に寄り添った本格評伝。焦燥感や不安にかられていた佐野氏を「勇気づけ、失意から立ち直らせた」唐牛健太郎の生きざまとはいかに?

 

『唐牛伝 敗者の戦後漂流』

 

著/佐野眞一

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