日本美術全集

全20巻

日本の心が紡いできた比類なき「美」。「日本美術全集 全20巻」。今、日本に存在する「最高の美」のすべてがここに。

第1回配本 法隆寺と奈良の寺院(飛鳥・奈良時代Ⅰ)

 
責任編集/長岡龍作(東北大学教授)
定価本体15,000円+税
ISBN9784096011027
判型・仕組B4判/288 頁
カラー図版口絵144ページ・カラー図版両観音16ページ
モノクロ解説ページ128ページ/上製・函入り/各巻月報付き

もくじ

  • はじめに 長岡龍作(東北大学教授)
  • 法隆寺――美術と祈り 長岡龍作(東北大学教授)
  • 古代日本の祈りと美術 長岡龍作(東北大学教授)
  • 四十八体仏の世界 岩佐光晴(成城大学教授)
  • 法隆寺の工芸 加島 勝(大正大学教授)
  • コラム/法隆寺と飛鳥時代の建築 箱崎和久(奈良文化財研究所都城発掘調査部遺構研究室長)
  • コラム/法隆寺戯画・落書考 清水 健(奈良国立博物館学芸部企画室主任研究員)
  • コラム/聖徳太子信仰と造像の一側面 岩佐光晴(成城大学教授)

概要

日本仏教の源である法隆寺にて新規撮影を敢行。釈迦三尊像ほか金堂内陣の仏像群に加え、五重塔などの伽藍も含め、国宝およそ20件余の最新かつ美しい図版を掲載。さらに、飛鳥、奈良と時代・地域を拡げた仏教美術の粋を200点を超えるカラー図版にて紹介します。

注目点

1. 法隆寺金堂内陣の新規撮影

  • 普段は暗く金網に遮られている金堂内陣の諸像を、最新の撮影技術と印刷技術によって、「いまだかつてない」美しい姿で掲載。
  • 釈迦三尊像の現在の姿がおさめられた初めての写真
  • 最近修復がなされた台座、天蓋、須弥壇の細部が鮮明に写し込まれている。
  • 今までほとんど見ることが出来なかった仏像群の背面が鮮やかに撮影されているので、光背の銘文もくっきりと見える。

2. 法隆寺大講堂と鐘楼

  • 最近の研究により、大講堂の四天王像の位置が入れ替わったが、その姿を初公開。
  • 今までの鐘楼の写真は肝心の鐘が明瞭に見えなかったが、これもはっきりと確認できる。

3. 土門拳、入江泰吉ら、昭和の名写真家による百済観音

  • 写真史に名を残す巨人、土門拳、入江泰吉、そして仏教美術写真の先駆けの小川晴暘。3人が9ページに亘って“競作”した百済観音像の姿に見(まみ)える。

4. 飛鳥・奈良時代の工芸
法隆寺に遺る工芸品はじめ、この時代に形作られた鏡や香炉や厨子、水瓶など仏教工芸の数々を、美しい色彩で堪能する。

5. 山神社(山形)、大日坊(山形)など、地方に広がったこの時代の小さな金銅仏も新たに撮影。

6. 仏像を造り、祈った人々に焦点をあてた論考
責任編集の長岡龍作氏(東北大学教授)は、これらの仏像を中心とした造形を生み出すことになった人々の動機、世界観に焦点をあてた100枚を超える論考を執筆。他にも最新の研究の成果を活かした論考やコラム、そして詳細かつわかりやすい図版解説を掲載。

(編集担当・河内真人)

「金堂内陣」撮影戦記

原色 日本の美術 法隆寺は、ご存じのように日本仏教発祥の地といっていい寺です。
 ゆえに、この全集はここから始めようと。もうひとつの理由は、47年前に弊社で刊行した美術全集『原色 日本の美術』。これは当時、大ベストセラーとなって、売れに売れた(羨ましい)そうです。
 監修された先生が「別荘が建つくらい」売れた、とも聞いています。そしてこの全集の最初の巻(発刊)がやはり「法隆寺」でした。
 で、法隆寺。けれど弊社においては、ほぼ半世紀振りの美術全集なので、前と同じ写真というわけにはいきません。かといって全てを新規撮影するという時間もありません。どころか1点でも新規撮影できるのでしょうか? おそるおそる法隆寺さんに伺ってみたところ、「では何を撮影されたいですか?」とのお言葉。舞い上がる編集部。刊行までにあと1年(2011年12月)のことでした。
 早速、編集部で、リスト作りの作業に着手。次ぎに、撮影したい優先順位表作り。ところが、法隆寺、ほとんどが国宝、重要文化財の作品ばかり。百済観音、救世観音、釈迦三尊、五重塔、金堂、あれもこれも……国宝。「あまり欲張ると、お寺さんがひくだろうしなぁ」。という抑制?の意識も持ちつつ、「本尊である釈迦三尊像をはじめとした金堂内陣を中心に新規撮影したい」ということになりました。釈迦三尊像が座す金堂の中には、薬師如来像、阿弥陀如来像のほか、四天王像に毘沙門天立像、吉祥天立像などが所狭しと安置され、しかも中はかなり薄暗い上に、前面には全体的に金網がかけられていて、それぞれの仏像の姿はよくわかりません。これを、最新の撮影技術をいかして、本来あるべき、お姿を見せたい! という思いで、お寺さんにお願いしました。さらに、ほとんど見たことがない、それぞれの仏像の後ろ姿も撮影したいと。
 後ろ姿はさすがにNGかと思いましたが、幸いご許可をいただくことが出来た日は、小躍りし、奈良で乾杯したのを覚えています。

いざ撮影。しかし、ここから苦難?の途がはじまりました。
 まず、どなたに撮影をお願いするか。美術品の撮影には、様々ルールがあり、経験が必要となります。そして今回は仏像が中心。しかも広さや明るさなどの撮影条件は決して良いとはいえません。そこで、何人かが候補にあがりましたが、その中で残ったのは金井杜道さん。長く京都国立博物館に在籍し、数多くの美術作品を撮影されている写真家です。今は独立されて、唐招提寺の鑑真和上坐像はじめ、仏像も数多く撮影されています。
関西美術チームの皆さん ご本人にお願いすると、ありがたくお引き受けくださり、なんとかカメラマンは決まりました。
 ほかにも“プロ”の協力を仰がなければなりません。プロとは、この金堂の状況、仏像のことを経験的にも知識的にもよくわかっている方々。それはまず奈良国立博物館の研究員の方々であり、そして実際の撮影現場で、養生はじめ、撮影の場を整えてくださるスタッフで、これは日本通運の関西美術チームです。あの興福寺の阿修羅像を東京国立博物館に運んだメンバーがいるチームです。

 

 これらの方々の協力を仰ぎ、打ち合わせを繰り返して、いざ本番へ。しかし、ここからも色々な問題が起きてきて、それをひとつづつ解決しながら、本番へとこぎつけることになりました。例えば、電源の問題。法隆寺は17時を過ぎると基本的に、電源を落としてしまうので、大型の発電機を用意する必要があります。これを調達し、狭くて真っ暗な金堂の中のどこに設置するか。そして今回はデジタルに加え、フィルムでの撮影も行ったため、金堂内陣に撮影用のトレーシングペーパーを張り巡らしたのですが、これが撮影時に生じる熱で、引火でもしようなら(怖)。ということで、保険をかけることになったのですが、保険対象物は金堂含め、ほとんど全て国宝。評価額!! 保険金!!

金堂内陣の太い柱 そして撮影当日、撮影スタッフのほか、本巻に関わる研究者や、普段入ることが出来ない場所、そこで行われる撮影を一目見たいという全集に関わるスタッフ等々が集まりました。行かれたことがある方ならおわかりかと思いますが、金堂内陣はとても狭いスペースです。ここに、20名を超えるメンバーが集まりますので、その交通整理? も必要でした。
金堂内陣での撮影風景 そして最大の問題は、それぞれの仏像の、ほんの1mくらい前に、太い太い柱があることです。うーーーーん。
 カメラ位置を試行錯誤しながら、テストを繰り返しますが、なかなか決まりません。
 なんとか正面性を保ったカメラ位置を確保して撮影したのが、本巻の目玉である、金堂内陣全景で、これは4Pの観音開きのページで展開しているのですが、どこにもない、この本だけで見られる全く新しい写真です。
釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀如来像の背面 そして私が個人的に一番気に入ってるのは、見開きで構成した釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀如来像などの背面の写真です。ほかのお寺でもなかなか見ることができない仏像の背面ですが、法隆寺金堂の仏像の背面は、現地ではもちろん、他の本でもほとんど全く見ることが出来ません。これは本当に息を呑むような写真と言っても言い過ぎではないと思います。仏像の本来の色や質感がわかるのはもちろん、残っている鍍金の煌めきや天蓋から下がる極彩色の垂飾、台座に描かれた山岳文など様々な絵画も鮮明に見えますし、光背に刻まれた銘文もくっきりと見えます。
 今、この時代だからこその撮影と印刷のクオリティーの高さが凝縮された本巻をぜひ直接お手にとって味わってください。
 最後に、この本の編集中に行った、監修(責任編集)の長岡龍作先生(東北大学教授)のインタビューを掲載しますので、併せてお読みください。

(編集担当・河内真人)

長岡龍作先生インタビュー

 第1回配本「法隆寺と奈良の寺院」の監修者、長岡龍作先生は、札幌の高校の時に目覚めて以来、およそ35年、仏像一筋というか、仏教美術の世界にのめり込んだということです。

長岡龍作先生中宮寺の菩薩半跏像

 ちなみに高校の時に、感動した仏像は中宮寺の菩薩半跏像。その時のことを、今でも覚えているそうです。
「高校時代、奈良から遠い札幌で和辻哲郎の『古寺巡礼』や亀井勝一郎の『大和古寺風物詩』を読んでいました。特に亀井は北海道の人だったので親近感を持ちました。古代の仏像に漠然とあこがれを抱いていました。修学旅行で初めて奈良に行き、法隆寺を見てから中宮寺に行った時に菩薩半跏像の美しさに感銘を受けました。本で読んでいた世界に近づき、ただ感激していたと思います」

――その感激が天職となったわけです。

 「柳田国男『遠野物語』の世界にも惹かれていたので、民俗学にも憧れがありました。また、美術は描くのも見るのも好きでした。そんなことから、日本の古い文化、特に美術を勉強したいと考えるようになりました。東北大学文学部には「東洋日本美術史」(東日美)というその分野を専門にする研究室があることを知ったので、ぜひそこに行きたいと考え始めました。大学一年の春、初めて一人で奈良と飛鳥に行きました。初めての一人旅だったので苦労も多かったですが、旅の方法を身につけたので奈良がぐっと近く感じられるようになりました。文学部では二年生までに所属する研究室を決めるのですが、東日美に行くことに自分の中ではもうはっきり決まっていました)

――そこから、深くのめり込んでいくわけですね。

 「東日美に入ると、長く奈良博で学芸員をしていた上原昭一先生が着任されたばかりでした。先生の講義は飛鳥時代から始まりますが、授業が少なかったこともあって一年かけても飛鳥が終わらなかったので、授業で一番身近に触れていたのは飛鳥時代の仏像でした。自分自身は次第に平安初期の木彫像の造形力に惹かれていったので、卒論では法華寺十一面観音像をとりあげました。その後日本と中国との関係に興味を広げ、修士論文は十一面観音図像の中国から日本への伝播というテーマで書きました。博士一年の夏、友人と二人で、シルクロードから香港まで、中国を一月半かけて旅したことがとてもよい経験になりました。仏像を本来それがあった場所において考えるという方法を、のちに自覚してゆきますが、そのような問題意識を持ち始めたきっかけがこの旅だったのかなと今振り返ると思います。その後中国には幾度も行くことになりました。
 日本国内でも、とにかく足で歩いて寺まで行くということを心がけています。古代や中世の人々の感覚を身体のレベルで追体験したいと思うからです。
 仏像の表現にはどのような意味があり、人々は仏像とどのように付き合ったのかということを考えようとしています。仏像はモノとして紛れもなく存在しているので、それを見たり触れたりすることは身体的な経験です。また寺や遺跡に行くことも、身体的、視覚的な経験です。この経験を繰り返していると、昔の人が仏像とどう触れ合っていたのかが次第にわかってきます。その時、昔の人と共感できたと思えます。研究の喜びはここにあると思っています。もし、あるテーマを考えていて行き詰まったら、昔の人ならどう考えただろうかという基本に立ち返るようにしています。多くの場合そうすることでよい着想に行き着くことができます。ああそうかと思わず膝をたたくような感じです。そのような喜びがあるので研究を続けているのだと思います」

――ところで、わが生涯ベスト5の仏像を教えてください。

夢殿救世観音像
 昭和62年10月、聖徳会館で御開帳されたときに出会った経験は生涯忘れられません。像が発する霊異はただごとではありませんでした。どうしたらこのような仏像は生まれるのか、その答えを探し続けています。
法隆寺金堂釈迦三尊像
 平成元年に東京国立文化財研究所に入ってまもなく法隆寺資財帳の調査でこの像に出会うことができました。飛鳥時代の人々の心を教えてくれるかけがえのない仏像です。
神護寺薬師如来像
 上原先生にこの像について考えろと指導され、平安初期の精神をこの像の中に読み解くことができました。恩師との思い出の仏像です。
法華寺十一面観音像
 卒論以来、観音とは何かをこの像を通して考えています。まだ全体を拝見できていない憧れの仏像です。
雲岡石窟
 昭和60年6月、25歳で初めて行った中国で最初に行った石窟です。空間の迫力に圧倒されました。