日本美術全集

全20巻

日本の心が紡いできた比類なき「美」。「日本美術全集 全20巻」。今、日本に存在する「最高の美」のすべてがここに。

第8回配本 王朝絵巻と貴族のいとなみ(平安時代Ⅱ)

 
責任編集/泉 武夫(東北大学大学院教授)
定価本体15,000円+税
ISBN9784096011058
判型・仕組B4判/288 頁
カラー図版口絵144ページ・カラー図版両観音16ページ
モノクロ解説ページ128ページ/上製・函入り/各巻月報付き

もくじ

  • はじめに 泉 武夫(東北大学教授)
  • 平安の美―絵画・書・工芸 泉 武夫(東北大学教授)
  • 国宝『源氏物語絵巻』―その諸相の一考察 四辻秀紀(徳川美術館副館長)
  • 平安の工芸とかざり 日高 薫(国立歴史民俗博物館教授)
  • コラム/『鳥獣戯画』の謎を解く鍵―主題と構想を探るための手がかり 三戸信惠(山種美術館特別研究員)
  • コラム/技法からみた平安仏画の展開―仏画鑑賞の一助として 増記隆介(神戸大学准教授)
  • コラム/病草紙の世界 加須屋 誠(奈良女子大学教授)
  • コラム/空間芸術としての寝殿造―平安貴族の生活空間 藤田盟児(広島国際大学教授)

概要

この巻では、平安京に都が遷(うつ)された794年から平氏が滅亡した1185年までの約400年間に生み出された美術のうち、絵画・書・工芸の名品中の名品およそ160点を取り上げます。
平安時代の美術のおもな担い手は王朝の貴族たちであり、豊かな日々のいとなみに育まれた美のセンスが隅々にまで、ときには過剰なほどに表現されています。掲載する図版は、『源氏物語絵巻』『伴大納言絵巻』『信貴山縁起絵巻』の三大絵巻のほか、人気の高い『鳥獣人物戯画』、意匠と技巧の両面で頂点を極めた『平家納経』、三筆および三蹟の名筆など、そのほとんどが国宝・重文の指定品です。一般に「雅び」と評される平安の美術ですが、末法の世の恐怖と死生観が生々しく描かれた『地獄草紙』『餓鬼草紙』『病草紙』など、「雅び」とは対極にある絵画も収載。平安貴族の贅がつくりあげた、至高の美を存分に味わえる一冊です。

注目点

図版ページの章立てに添って、見どころの一部をご紹介します。

第一章 王朝絵巻Ⅰ 物語絵と貴紳の風俗
図版のトップを飾るのは、『源氏物語絵巻』。いわゆる「引目鉤鼻」の美男美女の顔立ちは類型的と思われがちですが、その描き方をよく見ると、切ない心のうちまでも伝わってくるかのように計算されているのがわかります。室内を彩る調度品、屏風に描かれたやまと絵(画中画)など、大判の図版が手元にあればこそ、じっくりご覧いただけます。

第二章 王朝絵巻Ⅱ 説話絵と戯画
『伴大納言絵巻』から「応天門炎上」の場面を、見開き4ページの迫力で掲載しています(とは言え、実際の大きさは、この場面だけで6メートルにも及ぶものですが…)。数多いる人物の表情が、生き生きとバラエティーに富んでいることに、きっと驚かれると思います。

第三章 書と料紙装飾の雅び
書道をたしなまれる方も、逆にあまりなじみのない方も、ここに並ぶ名筆の数々に圧倒されることは間違いないでしょう。また、繊細かつ華やかに飾られた料紙の美しさは、まさに日本人の感性の粋。ため息までも出てきそうです。

第四章 かざりと装い
檜扇(ひおうぎ)や手箱、箏(そう)に描かれた彩絵、蒔絵の部分図を見ると、それぞれが一幅の絵画として鑑賞でき、楽しむことができます。身の回りを飾る品々に装飾が施されるのはごく普通のことですが、武具までも精緻を極めて飾り立てるのは、平安の貴族ならではの美意識と贅沢。

第五章 平安仏画
平安時代に描かれた仏画は、絵巻物にも勝るとも劣らない王朝絵画の精華です。厳かで美しく、ときに幽艶なほとけたちの姿を30ページにわたって掲載しています。そして、この章の始まりのページは、手の込んだ絵画技法がよくわかる部分図のコラージュです。全図の図版番号は記載していますが、さてどこの部分を切り取っているか―? 探すのがかなり難しいものもあります。

第六章 浄土・うつし世・地獄
高野山、有志八幡講十八箇院の『阿弥陀聖衆来迎図』は、平安人が往生に備えるために描いた来迎図のなかでも圧巻の作。金色に包まれた阿弥陀と、鮮烈な色彩で描かれた菩薩たち。泉武夫先生は、「来迎のイリュージョンもここまでくれば完璧」と表現されています。

第七章 写経とその荘厳
掲載図版のどれもが、これほどまでに美しい経巻があったのか、と思わせます。平氏一門が厳島神社に奉納した『平家納経』は、見れば見るほど、豪奢なつくりと意匠の豊かさに引きつけられ、銀鍍金・ガラス・水晶で飾られた精巧な軸首にも、驚嘆するばかりです。

第八章 祈りの造形
最後には、神仏への願いが込められた奉納品を紹介します。経巻や袈裟を収める漆の箱に施された蒔絵は、蓋の表と裏とで意表をつくような文様が施されている場合があります。可憐な花鳥やユーモラスな霊獣などさまざまですが、その画力の巧みさは、どれもみな秀逸。


さて、どれほど饒舌をつくしても、見どころのすべてをお伝えするのは至難です。ぜひ本書を手に取って図版をご覧いただき、論考・コラム・図版解説の各項を合わせてじっくりお読みください。豊饒な美のかたちの奥深さを堪能していただけると思います。

(編集担当・岩崎方子)

 すでに昔むかしのことになりますが、私も美術史を学んでおりました。
大学3年生の夏、学生有志がH教授の引率で敦煌莫高窟ほか石窟美術をめぐる研修旅行に出たときのこと――。
 莫高窟のなかに教授がことのほかお好きな仏さまがおわして、そこでただ一度だけ「みなさん、こんなに美しい仏さまですから手を合わせましょう」とおっしゃったのです。そのときの教授の声と口調は、はにかんだ笑顔とともにとてもチャーミングだったのですけれど、人一倍ぼんやりしているくせに頑固な性格の私は、「美しいから拝むとはどういうこと?」と疑問に思い、とうとう手を合わせずにいました。二十歳ごろという年齢では、そうすることもまた、当たり前だったかもしれません。

 今回、編集後記をしるすにあたって、この遠い記憶がよみがえってきました。本巻の編集作業中、あまりに美しい数々の仏画に(仕事も忘れて)始終うっとりとしていましたから……。もし周囲に誰もいなければ、首を垂れて合掌していたかもしれません。
 本編の論考に語られる「善を尽くし美を尽くす」そして「美麗」の言葉は、(繰り返すことになりますが)平安時代の造形がめざした基本的な姿勢と価値観を言い表わしたものです。また、責任編集の泉武夫先生が京都国立博物館の研究官でいらしたときに担当された展覧会「王朝の仏画と儀礼」の図録を読みますと、肉眼ではとても認められないほどの細かな技法で仏画の文様が描かれたのは、人の眼に映る美しさや愉悦ばかりではなく、神仏の眼にもかなうようにとの、発注者および制作者双方の真摯な姿勢が考えられるとのことです。平安貴族の財力と才能と信心があってこその、美麗の仏たちなのです。

 この巻には167点のカラー図版が掲載されていますが、図版番号のつけ方にも工夫(細工?)があり、実際の点数はもう少し多くなります。図版もくじを開くと、まさに国の至宝と呼ぶのにふさわしい作品が並ぶなか、じつは仏画の章のボリュームがちょっと多めなのにお気づきでしょうか。もちろん「王朝絵巻と貴族のいとなみ」のタイトルどおりの構成なのですけれど、「泉先生のたくらみ」(失礼!)が潜んでいます。私は見事にそのたくらみにはまってしまい、いまもなお美麗の仏たちにうっとりしつづけています。
 (ちなみに、ご存じの方も多いと思いますが、泉先生は尺八の演奏家でもいらして、CDも多数リリースされています。先生の尺八曲を聴きながら仏画に見入る――本が出来上がったいま、そんなことを楽しみに考えています)

 冒頭のH教授は八十歳を越えられて、お会いする機会はなかなかありませんが、昨年お目にかかったときには、学生のころにお好きだった(仏さまではなく)女性のお名前がなかなか出てこないのがもどかしいごようすでした。次にお会いするときまでに思い出してくださいとお願いしましたら、「もし、そのときに家内が一緒だったら困る……」と。相変わらずチャーミングです。

(編集担当・岩崎方子)