日本美術全集

全20巻

日本の心が紡いできた比類なき「美」。「日本美術全集 全20巻」。今、日本に存在する「最高の美」のすべてがここに。

第15回配本 戦争と美術(戦前・戦中)

 
責任編集/河田明久(千葉工業大学教授)
定価本体15,000円+税
ISBN9784096011188
判型・仕組B4判/312頁
カラー図版口絵144ページ・カラー図版両観音16ページ
モノクロ解説ページ152ページ/上製・函入り/月報付き

もくじ

  • はじめに 河田明久(千葉工業大学教授)
  • 美術の闘い──昭和前期の美術 河田明久(千葉工業大学教授)
  • 前衛美術の流れ 大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)
  • 芸術家と社会──戦前から戦後にかけての左翼思想と美術 足立 元(美術史家・美術評論家)
  • 日本人美術家と「欧」「米」──一九三〇年から四〇年代を中心に 林 洋子(文化庁芸術文化調査官)
  • コラム/写真グラフィズムの展開 白山眞理(日本カメラ博物館運営委員)
  • コラム/戦前・戦中の建築について 米山 勇(東京都江戸東京博物館研究員)
  • コラム/東南アジアにおける「美術」の誕生と日本の戦争 後小路雅弘(九州大学教授)

概要

日本美術全集として初めて、「戦争画」を中心に、1931年の柳条湖事件、1937年の日中戦争勃発から1941年の太平洋戦争への展開、1945年の敗戦までに関連した美術作品を集成。単なる歴史資料としてではなく、また特定のイデオロギーにとらわれることもなく、あくまでも美術作品としての美術史上の意義と価値、戦後美術への影響を、最新の研究成果に基づき検証・考察します。
同時に、ヨーロッパ前衛美術・思想の強い影響の下、1920年代後半から30年代にかけての都市・大衆消費文化の発展を背景として隆盛したモダン・アートの展開。日本人芸術家のヨーロッパおよび南北アメリカ大陸での活動など、日本美術のグローバルな広がりにも注目。さらに、反戦美術やプロレタリア美術、新しいメディアの発達、関東大震災以降の都市の近代化、ベトナムやインドネシア、タイなど東南アジア諸国の美術との関係なども含め、短いながらも劇的で多層的・多面的な時代の美術の実態を浮き彫りにします。
およそ50年ぶりにロシアで「再発見」されたプロレタリア絵画を新規撮影・掲載。

注目点

カラー図版ページは従来のジャンル別ではなく、この時代を特徴づける6つのテーマで構成されています。

第1章 人々の闘い
戦地に限らずさまざまな場所で人々が闘うことを余儀なくされた時代。この頃の特徴の一つが群像表現であり、もっとも時代の高揚感を感じさせる絵画でもある。社会的動乱は群像表現にふさわしいため、美術家たちは恰好のテーマを得たといえよう。

第2章 都市の体験
関東大震災以降、「都市」がテーマになってくるのがこの時期。摩天楼の出現、マスメディアの発達による情報化社会の誕生、路面電車や地下鉄が整備され、郊外から都心への通勤者が現れる。人々の意識の中で、パリやニューヨークに比肩する近代都市・東京が誕生したのである。

第3章 抽象と幻想
ヨーロッパの美術界ではありえないことだが、この時代の日本では同一の美術家の中で、シュルレアリスム(超現実主義)や抽象絵画といった複数の前衛美術の様式が融合したかたちで同時に表れる。この日本固有のモダン・アートの特徴について検証する。

第4章 昭和の肉体
明治時代における肉体は、美術家たちにとって「西洋美術」を身につけるための手段にすぎなかった。しかし、大正末期を迎えると、肉体(とりわけ日本人の肉体)に向けられる視線は自覚的になってくる。肉体を見つめることそのものが、美術家たちのテーマになった時代である。

第5章 国土の姿
鉄道網の完備、国定公園の制定、国内観光の隆盛などを契機に、「何が日本的なものなのか」という問題意識が美術家たちのなかに成長する。それは、対外関係の悪化とともに、自己を見つめ直す「日本の風景」の再発見へとつながる。

第6章 描かれた大東亜
文明開化以降もっぱらヨーロッパを注目していた美術家の目が、初めてアジアとその風土へと向けられ、美術家たちはそこに新しいモティーフとテーマを見出す。彼らは、日本とアジアとの関係において、自らの創作活動について模索するようになる。

(編集担当・高橋 建)

 『戦争と美術』という巻名から、まるで「戦争画」ばかりが集められた巻のように思われるかもしれませんが、それは大間違いです。確かに、本巻が扱っているのは、1931年の柳条湖事件(満州事変)、1937年の日中戦争勃発から1941年の太平洋戦争への展開、1945年の敗戦というわずか15年ほどを中心とした、ごく短い期間です。しかし、この短い期間に制作された作品、およびその前後に制作された関連する作品をご覧いただくと、その多様性・多極性と多層性に、きっと驚かれることでしょう。

「時代の空気」を再現する

 1冊の画集の中に、この複雑で奥深い時代をいかにして再現するか?単なる資料的な集大成ではなく、あくまでも有機的な書物である画集として、「時代の空気」が感じられるものにするにはどうしたらよいか?本巻責任編集者の河田明久先生と、この難題の解き方について打ち合わせを始めた時期は、2012年にまで遡ります。最初の「カラー図版掲載作品候補リスト」ができたのがその年の5月ですが、この段階では、まだジャンル別のリストの状態でした。
 そのリストを叩き台に打ち合わせを重ね、ジャンル別ではなくテーマ別に構成するという画期的な転換がなされたのが8月。この時点では4章立ての構成で、それらのテーマの内容は、現状とはまったく異なるものでした。そして現状とほぼ同じテーマ別6章立ての構成ができあがった頃には、すでに2012年も暮れになっていました。それらのテーマの中には「飛翔の夢」という章があり、さらにその1週間ほど後には「描かれた大東亜」という章が新たに生まれ、一時、7章立てとなります。
 改めて現状と同じ内容のテーマで6章立ての構成に整理し直された(結局、「飛翔の夢」は消滅しました)のが、2013年の春。しかし、まだこの段階では掲載作品リストとその配置は「仮」のままで、さらに打ち合わせが続けられました。最終的な掲載作品とその配置まで含めた構成がひとまず決まった頃には、すでに2014年になっていました。しかしその後も、次に述べるロシアからの特報があって調整が必要になるなど、さまざまな理由から細かな修正はこの年の後半まで断続的に続いたのです。

ロシアより愛をこめて

 上記のような本巻の構成を検討するのと並行して行われたのが、所在不明プロレタリア絵画についてのロシアでの調査です。旧ソヴィエト連邦に渡ったプロレタリア絵画の行方に関する調査は、1960~70年代に断続的に行われましたが、その後、中断されたままとなっていました。
 そこで、河田先生と執筆者の一人である練馬区立美術館学芸員の喜夛孝臣先生によって当時の資料が集められ、情報の整理がなされました。そしてその情報に基づき、2013年12月より、エルミタージュ美術館やプーシキン美術館など、作品が所蔵されている可能性のあるロシア国内の美術館に対し、調査を依頼しました。この調査は、小学館とそれらの美術館との間に、『世界美術大全集』以来の長年にわたる友好関係があってはじめて実現したものです。
 2014年の初めには、さっそくプーシキン美術館の学芸員より、「うちにはないけれど、あそこが確か持っているはず」と、ロシア国立東洋美術館についての有力な情報が寄せられました。しかも、自主的に先方の担当学芸員に個人的に連絡をとってくれ、協力するように依頼までしてくれたのです。その結果、2点の作品の所在が確認され、現地のカメラマンによって新規に撮影がなされました。
 さらに、すでに1点の所在が判明しており最有力視されていたエルミタージュ美術館からは、期待を裏切らない情報が寄せられました。同館の収蔵庫で、木枠から外され、丸められた状態の作品3点が確認されたというのです。
 さっそく撮影を依頼しましたが、思いもかけず、同館館長から断りの返事がきました。油彩画は丸められたまま長期間、保管されていると、油絵具が接触しているカンヴァスに張り付いてしまうことが、ままあります。その場合、無理に開こうとすると、絵具がはがれ、作品を破損してしまいます。そのような事態を恐れての判断とのことでした。
 とはいえ、簡単に諦めるわけにはいかず、粘り強い交渉が続けられました。幸い、当方の熱意を受け、本巻にそれらの作品が掲載されることの意義を高く評価してくれた同館学芸員が、館長の説得役を申し出てくれました。その結果、無事に新規撮影の許可がおりました。
 5点の作品がおよそ50年ぶりに「再発見」され、本巻に掲載された背景には、上記のような現場で働く人々の美術作品に対する深い愛情があったのです。

地道な「発掘作業」

 本巻に作品図版が掲載されている美術作家のうち、著作権が生きている方々は、120名ほどにのぼります。そのうち、御本人が存命の場合と日本美術家連盟のような公的組織を代理人としている場合を除いても、100人ほどの著作権継承者がいらっしゃいます。作品図版の掲載に際しては、それら一人一人の方々に個別に連絡をとり、紙面による許可をいただかなければなりません。
 それだけでも膨大な作業となりますが、本巻掲載作家の中には、これまで出版物などで紹介されたことがほとんどない作家もかなりの数でいらっしゃいます。小学館には、長年にわたる美術書出版を通じて蓄積された著作権継承者に関する貴重なデータ・ベースがありますが、今回はそれですら役に立たない事例が相次ぎました。
 その場合、どなたが正式な著作権継承者であるかを特定し、その連絡先を探し出すところから始めなければなりません。この地道な「発掘作業」に関しましては、本巻に関わる研究者・学芸員の方々のみならず、直接、関係のない全国各地の公立・私立美術館の学芸員の方々──美術の現場におられる方々──にも御協力いただきました。皆様、美術全集としてはじめてアジア太平洋戦争にまつわる美術作品を集成するという本巻刊行の意義を認めてくださり、親身な対応をしていただけました。
 さらに、著作権継承者のなかには、「戦争と美術」というタイトルがつけられた画集の中で、作品がどのように扱われるのか、危惧される方々も少なからずおられました。それらの方々には、本巻があくまでもアカデミックな立場から美術作品としての意味と価値を読者に伝えるものであるという趣旨を丁寧に御説明することで、最終的には納得していただきました。
 著作権申請作業には、結局、7ヶ月余りの時間を要しました。

 本巻の刊行にあたりましては、その前段階となる準備としてだけでも、以上のような長期間にわたる作業が必要とされました。しかし、実際にできあがった本巻を見ますと、十分に報われる作業であったと納得し、また戦後70年という節目を飾るに相応しい画集であると自負することができます。是非、実際に手にとって御覧ください。

(編集担当・高橋 建)