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2016.1.15
【戦後秘史】「大きな地震の後には、誘発地震が発生する」と警告した研究者を国家が弾圧! 戦時中の悪行を西村京太郎が暴く。 『一九四四年の大震災――東海道本線、生死の境』
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時は現代、浜名湖の湖岸にある「フジタ浜名湖地震津波研究所」のビルが炎上した。この炎の中に、夫・藤田 武がいると、妻の美里は確信していたが、その事実を消防隊員に報せなかった。ほかの人間に邪魔されたくないと知っていたからである。
時代はさかのぼり、太平洋戦争の末期。水産加工業を営む武の祖父・徳之助は、古い書物を読み漁り、ある不安に襲われていた。近い将来、浜松周辺で大地震が続けて起きるのではないかと。彼は「フジタ浜名湖地震津波研究所」を立ち上げ、息子の健太郎とともに、独学で地震の研究をはじめる。
そしてついに徳之助の不安は的中する。昭和19年12月7日、大地震が東海地方を襲ったのだ。後に言われる「昭和東南海地震」である。しかし、当局はこの地震のことを大きく報じなかった。藤田親子は郷土史から推測し、「少なくとも1か月以内に、同じ東南海で大地震が起きる危険性があるから、それに備えた地震対策をしてほしい」と主張したが、戦争への士気が下がることを理由に、拘留された。ふたりが危惧したとおり、翌年1月13日には三河地震が発生。そのとき、迫害されていた徳之助は鉱山に、健太郎は沖縄戦線に送り込まれていた……。
「実際に起きた三河地震をモチーフに、西村京太郎先生が、戦争の悪を描き出します」(担当編集)
列車も出てこず、十津川警部も一向に登場しない? シリーズの異色作です。
著/西村京太郎
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