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2019.10.5
【第2回】世界中で読み継がれる名作『風と共に去りぬ』を林真理子が鮮やかにポップに、現代甦らせた!『私はスカーレットⅠ』第1章~第3章を無料公開中!
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【第2回】
第2章
タールトン家の双児は、まだ私の前にいる。空気が急に変わったことに気づいているものの、どうやって収拾をつけていいのかわからないのだ。
気分屋のスカーレットのことだ、すぐに機嫌を直して、自分たちを夕食に誘ってくれるはずと考えていたのだろう。ぐずぐずと明日のバーベキューや、その後の舞踏会について喋っている。
だけどやっとわかったようだ。私がまるっきり話を聞いていないことに。二人はかなり努力をした。ジョークを言っては笑わせようとした。が、それが全く無駄なことに気づいてしぶしぶと懐中時計に目をやった。
ふだんだったら、私はこう言っただろう。
「あなたたちって、こんな時間までうちのテラスにいて、それなのに夕ご飯を食べていかないって言うの? まるでうちがあなたたちを追い出したみたいじゃないの」
だけど私はもうそんな言葉を口にしない。それどころか、私をこれほど深い困惑と不安に突き落とした二人を憎み始めている。
さっきまでのあのきらきらした午後は終わろうとしていた。
太陽は耕したばかりの畑に落ちて、川向こうの背の高い木々が、影絵のようにぼんやりと浮かんで見えた。
ツバメはさっと庭を横切り、ニワトリとアヒル、七面鳥たちがそれぞれのねぐらに帰ろうとしていた。
「ジームズ!」
スチュワートが大声で呼ぶ。しばらくすると双児と同じ年頃の黒人青年が、屋敷の裏から走って現れた。ジームズは双児の身のまわりの世話係で、どこへ行くのも一緒だった。犬たちとセットになっていて馬の傍らへ走っていく。子どもの頃は双児の遊び相手だったけれど、十歳の誕生日に彼ら専属の奴隷として贈られたのだ。
私はジームズが馬を整える様子をじっと眺めていた。音だけじゃない。見慣れたいつもの光景なのに、色彩が抜けて急に白っぽくなって見える。
双児は私にお辞儀をし、さようならの握手を求めた。
「それじゃあ、スカーレット、明日はウィルクス家に早めに行っているよ。そして君の来るのを待っているよ。だって一曲めから踊るんだから。バーベキュー中も君の隣りの席を確保しておかないとね」
彼らはとことん鈍感なんだと私は思った。ウィルクスという名前が、今の私にどれほどの痛みを与えるかまるでわかっていない。
「じゃあ、スカーレット、また明日」
彼らは馬に乗り、ジームズを従えてうちの前の杉並木を早足で帰っていった。何度も何度も私に帽子を振り、大声で叫ぶ。
「スカーレット、約束は守ってくれよ」
「明日が楽しみだ」
陽気な声は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。私はぼんやりとテラスに立って、双児が言ったことを整理しようと骨を折った。ものごとを深く考え、組み立てていくのは、私が大の苦手とすることだ。でも、しないわけにはいかなかった。
双児は確かにこう言ったのだ。
明日、ウィルクス家のパーティーで、アシュレとメラニーの婚約が発表されると。
「そんなわけないでしょう」
私は声に出して言ってみた。本当にそんなことがあるわけがない。
心臓が奇妙な鼓動をうち始めた。こんなことは本当に初めてだった。
世界が、自分の知らないところで大きく変わろうとしている。自分の願いとは別に、何かが起こる。こんなことってあるだろうか。
私はアシュレを愛している。彼も私を愛している。証拠はいくらだってあるのだから。本当だもの。
この二年間というもの、アシュレはいつも私をいろんなところへ連れ出してくれた。舞踏会やピクニック、魚釣りパーティーや裁判を公開する裁判日。そりゃあ、タールトンの双児や、ケード・カルヴァートや、フォンテインの兄弟と行くよりは多くはなかったけど、彼がうちの屋敷に来なかった週は一度だってない。
アシュレが他の男の子たちのように、何度もやってこなかったのは、すべて彼の慎み深い理性的な性格のためだ。
そう、あの日だってつい先週のことだ。夕暮れの中、フェアヒルから帰る途中、アシュレは私に言ったのだ。
「スカーレット、君に大切な話があるんだ。あまりにも大切すぎて、どう話していいのかわからない」
そう、彼は私に告白しようとしていたのだ。他の男の子のそれとはまるで違う。私もアシュレを愛しているのだから。これは結婚の申し込みとなるのだ。あの時、私は夢みているようだった。子どもの頃にお母さまは教えてくれた。もしプロポーズされても、すぐに答えてはいけない。しばらく考えてからこう言うのだ。
「喜んでお受けいたしますわ」
だけどその時の私は、嬉しさのあまり、途中でイエスと言ってしまいそうだった。
早く、早く、アシュレ。早く私を愛していると言って……。その時だ。彼はこうつぶやいたのだ。
「いや、今はやめておこう。もう君のうちに着いてしまった。時間がない」
それからこんな言葉を口にした。
「僕はなんて臆病な男なんだ」
そして馬に拍車をかけ、丘を駆け上がっていってしまった。
だけど私は幸福だった。アシュレはこのあたりに住む男の子たちとはまるで人種が違う。とても繊細で紳士なのだ。突然のプロポーズで私を驚かせまいとしたのだ!
あの日のことを冷静に思い出している最中、突然ある考えに行きあたった。もしかしたらアシュレは別のことを告げようとしていたのではないか。メラニーとの婚約をあの時告げようとしたんじゃないだろうか。僕は従妹のメラニーと結婚しなくてはならないんだ。ごめんね……。
いや、そんなことはあり得ない。婚約だなんて嘘に決まっている。
「アシュレ、アシュレ」
その名前を呼んでみる。涙が出てきそうだったけれどじっと我慢した。泣いたりしたらそれが真実になるような気がしたからだ。
二年前、私がアシュレに恋をした日のことがはっきりと浮かびあがる。彼は三年間の大旅行を終えて帰ってきたばかりだった。その挨拶のためにお父さまのところへやってきたのだ。
ヨーロッパをゆっくりとまわるグランドツアーは、このあたりの地主の息子たちでも行くことがある。あのお馬鹿なタールトン兄弟でさえ、大学をちゃんと卒業したら、ヨーロッパに行っていいと親と約束していたのだ。しかしアシュレの旅行はとても長く、もう帰ってこないのではないかと噂になったぐらいだ。
前からアシュレにはそういうところがあった。本を何よりも好み、詩集や哲学書なんていうものさえ読んでいたのだ。その彼がパリやフィレンツェに魅了され、ずっと滞在しているのはわかるような気がする……などというのは、お父さまが誰かに言っていたことで、まだ十四歳だった私は、アシュレなんかにまるで興味はなかった。
それなのに、あの日の彼と会った時、私は言葉を失ってしまった。それほど彼は素敵だったのだ。
そう、今のこの場所。私はタラ屋敷のテラスに立っていた。彼は一人、うちの長い並木道を馬に乗ってやってきたのだ。王子さまのように。
灰色のブロードの上着を着て、ひだ飾りのあるシャツと合わせていた。幅広の黒いネクタイ、太陽の光を反射するほど磨き上げたブーツ、ネクタイピンのカメオに彫られたメデューサの頭……。私はあの日彼が身につけていたものを、すべて憶えている。これからだってひとつたりとも忘れることはない。
彼は馬を降り、広いパナマ帽の縁をさっと上げて、私に微笑んだ。その不思議な微笑。このあたりの男たちの、にこっと歯を見せる笑い方とはまるで違っていた。なぜかさみし気なもの憂い微笑みだった。お陽さまはちょうど真上にあり、帽子をとった彼の金髪を照らしていた。本当に見事な金色だった。上の方があまりにも光って、まるで金色の縁なし帽をかぶっているようだった。
そして彼は、声をかけるのも忘れ、ぼうーっと見つめている私に向かって、こう言ったのだ。
「すっかり大人になったね。スカーレット」
そして私の手にキスをした。その動作の優雅だったこと。私は心臓が音をたてて壊れるかと思った。なんて素敵な人なのだろう。なんて美しい男の人なのだろう。
そして決めた。私はアシュレと結婚するのだと。
(【3】に続く)