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2019.11.13

ためし読み『タスキメシ 箱根』:箱根駅伝100年! 胸熱スポーツ小説決定版第2弾発売!! 全6回連載

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ためし読み『タスキメシ  箱根』:箱根駅伝100年! 胸熱スポーツ小説決定版第2弾発売!! 全6回連載

連載全6回のうち第1回

◆プロローグ

 「何か、持って帰ってくるから」

 口数の少なかった森本が、突然そんなことを言った。彼のベンチコートを抱えたまま、千早は咄嗟に言葉が出てこなかった。

 すぐ側の車道を、色とりどりのユニフォームを着た選手達が走り抜けていく。21・3キロの道のりを走り終え、最後の力を振り絞って中継所に駆け込んでくる。歓声が上がる。「頑張れ」と選手を応援する声、言葉にならない唸り声。拍手が聞こえる。小旗が振られる音がする。

 襷が、選手から選手へリレーされる。汗の滲んだ襷が次の区間へ受け継がれていく。シューズがアスファルトを蹴る音と、地を這うような息づかいが重なって、一つの大きな生き物のようだった。

 「二区、23・1キロもあるんだ。きっと何か見つかるよ」

 ぎゅっと引き結ばれた森本の唇を見つめて、千早は「何か」と喉の奥で繰り返した。

 順位でもなく、タイムでもない、何か。

 「だから来年は、みんなで走りたいな」

 一区と二区を繋ぐ鶴見中継所は、運営スタッフや観客でごった返していた。先頭集団が襷リレーを終え、中継所は一瞬だけ静かになる。すぐに第二集団がやってきて、再び歓声と旗の振られる音に包まれた。こんな大会は他にない。どこを走っても沿道に観客がいて、常に「頑張れ」という声が聞こえる。大量の幟がはためく。全国にテレビ中継される。日本中が、襷を繋ぐ選手達を見つめる。

 東京箱根間往復大学駅伝競走――箱根駅伝。

 新しい年が幸せであるようにと大勢の人が願う一月二日と三日。真冬の冷たい空気を切り裂くようにして走る、世界一の駅伝の大会。大手町の読売新聞東京本社ビル前から神奈川県足柄下郡箱根町の芦ノ湖までを往復し、217・1キロを十人の選手で襷を繋ぐ。長い長い

 日本中が一つのレースの動向に注目するなんて、きっと箱根駅伝かオリンピックくらいだ。千早は、そう思っている。だから、自分も森本も、そこを走りたいと思う。

 「――行こう」

 喉の奥から、染み出すように言葉が漏れた。

 「来年は、ちゃんと、うちの大学の襷をかけて走ろう」

 森本がこちらを振り返る。彼の地毛はとても明るい茶色をしていて、高校生の頃は染めているんじゃないかとよく教師に疑われたらしい。狐の毛のような鮮やかな髪をかき上げ、森本は何も言わず拳を突き出してきた。彼らしくない、大真面目な顔で。

 千早も、無言で森本の拳に自分の拳骨をこつんと当てた。朝の空気にかじかんだ自分の手と、アップを終えた森本の手とでは、体温が全然違った。別の生き物のようだった。

 運営スタッフが森本を呼ぶ。関東学生連合、と。

 「はい!」

 森本が大きく返事をし、最後に一度だけこちらに目配せをして、離れていく。中継地点の人垣に森本の姿が、明るい髪色が、見えなくなる。

 抱えていたベンチコートを千早は見下ろした。「紫峰大学」と、自分達の通う大学の名前がプリントされている。コートの色は江戸紫色。襷も、同じ色だ。今日は、その襷を使うことはないけれど。

 気がついたら、大学名を撫でていた。ひんやりとした質感が指先から伝わってきて、千早は顔を上げた。

 先頭集団、第二集団からやや遅れて、白い襷を握り締めた選手がやってくる。森本が彼に向かって手を上げた。「ラスト! ラスト踏ん張れ!」と声を張る。

 森本が着るユニフォームも、江戸紫。けれど、彼がエールを送った一区のランナーのユニフォームは濃紺だ。彼らは、同じ大学のチームメイトではない。

 ふらつきながら襷を差し出した一区の選手の肩をぽんと叩き、真っ白な襷を受け取って、森本は走り出した。

 大学名の入っていない白い襷を肩からかけ、順位もタイムも参考記録としてしか残らないレースへ旅立った。

 仕方がない。予選会を通過できなかったチームから各一人、個人成績順に選手を集めて作られる関東学生連合チームは、そういうものだ。わかっているし、森本だって納得した上で参加した。記録は残らないけれど、箱根路を走ることで何かを見つけようとしている。千早も、得るものがあるんじゃないかと思って森本の付き添いを買って出た。

 箱根駅伝の《花》と呼ばれる二区を走り出した森本の背中を見つめ、千早は唇を噛んだ。

 先ほど彼と約束を交わした拳を、強く強く握り締めた。

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