編集・出版社営業・書店員・翻訳者が[ロボット・イン・ザ・ガーデン]を語ってみた。
8/9
この物語が幅広い層に受け入れられた理由
編集中、パラオの夕日のシーンを読みながら、確かドラコミックスの6巻にある「さようなら、ドラえもん」を思い出してしまい何度も泣きました(笑)。ドラえもんが未来に帰らなくてはならなくなる話なんですけど、のび太がドラえもんを安心させようと何度もジャイアンに立ち向かう姿が……。
あぁ! ベンがもうすぐタングと別れなければならないと覚悟する姿と。
ええ、完全に重なりまして(笑)。
アメリカから日本に飛ぶ際にベンが、今度は最初っからタングに貨物室ではなくシートの切符を取ってやるじゃないですか。多分この時、初めてタングは「ありがとう」の意味を自覚して、且つ自分の意思で、ベンに「ありがとう」って言うんですよ。ちょっと長いけど引用しちゃいますね。

《 タングがあんな扱いを受けるはめになってしまって、ごめんな 》
《 大丈夫。ベン、悪くない 》
《 そうだけど…… 》
タングは僕の片手をマジックハンドの手で握った。
《 ベン? 》
《 うん? 》
《 ありがとう 》
《 何が? 》
タングは僕のもう一方の手も取った。
《 席 》

ここ、泣けた。やっぱりこれ、とびっきりの友情小説だと思う。
パラオと言えば、ベンがタングに「許す」って概念を教えようとするじゃないですか。
あ、分かった。あそこはいい!
引用どうぞ(笑)。
《 目の前にいるロボットは〝 何で 〟の概念を理解できず、動機というものの意味も掴めずにいる。許すということを教わったことがないから、自分が人を許しているのかどうかさえわかっていなかった。そんなタングが、人の持つ数ある複雑な感情の中で理解したものは、愛だった 》
いやぁ、タング、欲しいな、うちにも。
ちょっと話が逸れますけど、私は、編集中はSFとかAIものという意識は薄く、子育てものや友情物語という認識しかなかったのですが、最近のAIの急発達ぶりを見ていると、人間は自らが作った命とどう共存していくのか、というテーマの一つも、かなり身近に感じられるようになりました。
松原さんも「訳者あとがき」の冒頭で触れてますね。
先日も、2030年にはAIが人間の能力に追い付くという誰かの説が報じられていて、この作品がファンタジーでなくなる未来もそう遠くないのかも、と今更ながら実感しました。
でもタングが特別なのは、その能力じゃなくて、「感情」ですよね。タングがベンにゲーム機をねだる場面、《 見下ろすと、タングは大きく見開いた目を僕に向かってぱちぱちさせながら、精一杯かわいい顔をしようとしていた 》って、他のどんな高級なAIよりも、素敵なロボットだ(笑)。
ブライオニーがタングを見ていてAIに休暇をあげるようになる場面も、そういう意味では印象的ですよね。そういう時代が来たとき、自分は彼らとどう向き合うのかな、と考えさせられます。
僕は、AIじゃないけど、自分の車とかバイクに、時々話しかけますよ。特に長距離走った後なんか、「よく走ったな、ご苦労さん」とか。
以前ネットで、中年層の男性とおぼしき方のこんな感想を見かけました。「店先で見つけたボロいギターやクルマに手間を掛けて相棒にした事がある馬鹿な男性にもオススメな本でした」。編集中は、勝手に可愛いキャラ好きな女性読者向けと思っていたので、これはすごく新鮮な感想でした。沢田さんのお話を聞いて、それを思い出しました。
男って、機械とか道具とかマシンとか、「相棒」にしたがるから(笑)。
そういえば、最初に沢田さんが推してくださったのも私としてはかなりびっくりしたのを思い出しました。男性がこの作品を!? とすごく意外だったのです。
僕は、「意外がられる」事が逆に意外でしたけど。
でも、蓋を開けてみると支持層がかなり広いことに気づきました。男性もそうですし、子育てを終えたくらいの世代の方も、自分の子育てを懐かしく思い出してくれたり。
そういう意味では、実はとても間口の広い作品だったんですね。
編集が始めからそこを狙っていなかったことがお恥ずかしいですが(汗)。あと、私の勝手な印象ですが、翻訳書ってミステリーにしてもSFにしても、かなりの本好きの人が読むものというイメージがあって、こういうほんわか系の作品はヘヴィユーザーには受け入れられないかな、という心配もありました。
翻訳書を読まない層はそもそも手を出してくれなそうだし。
そういう意味では、自分の中では実はこれを日本で出すことはかなり挑戦でもあったので、こんなに広い読者層に受け入れられたことが本当に嬉しい驚きでした。

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